では、再開しましょう。

 佃大橋の下流側の対岸は、明石町です。聖路加ガーデンタワーがそびえています。佃大橋をくぐった上流側の対岸は、湊(町)です。くぐったところで、佃島に上陸となります。

 佃島は、江戸時代初期に隅田川河口の干潟を埋め立てて造られた人工島です。1644年に造成が終わり、摂津国(大阪)から呼び寄せた漁師に漁業権を与えて住まわせたのが始まりとのことです。
 本能寺の変の時に堺にいた家康が、岡崎に戻るにあたって、摂津佃村の漁師の力添えがあり、恩顧を感じて江戸に呼び寄せたという説もありますが、江戸の食糧確保のために、優れた漁法を持つ大阪湾沿岸の漁師たちを招いたともいわれており、この方が現実的かなと個人的には思います。

聖路加ガーデンタワーを臨む

佃大橋を越えたところに堤防に上る階段がありますので、いったん隅田川テラスを離れ、佃島に上陸しましょう。
 降り立つとすぐ、左右に佃煮屋さんが並んでいるのが目に入ります。左手に丸久さん、右手に天安さんと田中屋さん。
 佃煮はここの名物。元々は漁師たちの保存食だったようですが、江戸期にアレンジして売り出され人気を博したのだそうです。参勤交代に訪れた武士たちなどが江戸土産の一つとして持ち帰り、全国に広まったとも言われます。
 私は食べ比べたことがないのでよくわかりませんが、地元の人はそれぞれお気に入りの店があるようです。

老舗の佃煮屋が並びます

 右手には、佃まちかど展示館があり、お神輿、獅子頭などが展示してあります。
 お神輿は「千貫神輿」といってとても重いのだそうです。獅子頭は佃を水難から守ってくれる有難いものだそうで、いずれも住吉神社のお祭りの時にお出ましされるとのことです。

佃まちかど展示館
住吉神社
住吉神社

堤防に沿って少し上流の方へ歩を進め、住吉神社に参拝しましょう。
突き当りで右を見ると鳥居が見えます。これは二の鳥居です。左の隅田川沿いにも赤い鳥居があり、こちらが一の鳥居です。

住吉神社は1646年を起源とし、大阪佃の住吉の社、現在の田蓑神社の分霊(住吉三神、息長足姫命)と佃島に縁の深い徳川家康(東照御親命)を祭っています。月島、勝どき、豊海、晴海地区の氏神として信仰を集めています。
3年に1度の本祭りでは、佃島に6本の大幟が立てられ、八角神輿や千貫神輿、獅子頭なども練り歩き、佃・月島界隈は祭一色と化します。今年(2021年)は本祭りの年なのですが、はたしてどうなるのでしょうか。

 普段の境内は静かで、落ち着いた気分になります。しばし空気に浸りお参りを済ませたら、水辺歩きに戻りましょう。

 参道を戻り、一の鳥居をくぐって、川辺に出ます。一つ水路を越えると佃公園です。
そこには白い塔が建っています。1866年に、石川島に人足寄場の奉行が船の航行のために常夜灯として六角二層の灯台を築かせたとのことで、そのモニュメントとして建てられています。夜は点灯していますが、実のところは公衆トイレです。上手く活用したものだと思います。

 再びテラスに出て歩を進めます。次にくぐる橋は中央大橋です。

 この辺りで再び、中央大橋と東京スカイツリーがコラボレーションします。今度は、中央大橋の左右の主塔の隙間にスカイツリーがすっぽりと収まる瞬間がやってきます。これも是非見つけてください。

中央大橋は平成5年8月26日に開通しました。レインボーブリッジの開通と同じ日です。

 八重洲通りを乗せる橋で、対岸は新川、その先を真っすぐ進むと東京駅八重洲口に突き当たります。主塔から32本のケーブルが伸びる美しい姿をしています。隅田川がパリのセーヌ川と提携している関係で、デザインはフランスの会社が担い、コンセプトは兜のイメージなのだとか。 
 また橋の中央部には当時のパリ市長から寄贈された像が配されています。像は隅田川上流に顔を向けており、橋の上からは後ろ姿しか見えません。顔が見たい方は、水上バスから是非。

中央大橋をくぐると、石川島公園に入ります。住所は佃2丁目ですが、かつては石川島と呼ばれ、石川島播磨重工(現 IHI)があった場所です。
 東京ウォーターフロント計画の先駆けとして、その工場跡地に再開発された大川端リバーシティー21を囲む形で整備された公園です。

歩を進めて、隅田川から晴海運河が分かれる地点が北端になります。正面には永代橋が見えます。晴海運河の対岸は越中島です。

中央大橋
永代橋

更新が遅いので、写真を撮った晩秋から、冬を跨いで、桜の咲く季節になってしまいました。
ただ石川島公園は桜の季節が一番と言ってもいいでしょう。シートを広げての宴会花見は今年はできませんが、眺めて歩くには絶好です。

何とか間に合いました。

2019年の春の石川島公園にて